今から8年ぐらい前は、毎朝出勤すると洗面所の鏡の前で笑顔を作るのが日課でした。
あなたの心に🔥を付ける勇気づけの専門家 ウミザル式メンタルトレーナーのメタルです。
東日本大震災の年、わたしはとある地方にある保安部の救難防災担当として赴任していました。
作り笑顔の日々
当時のわたしは、単身赴任7〜8年目、独り暮らしで、20分ほど歩いて保安部まで通っていました。
またパニック障害やうつは小康状態を保っていたものの、毎日元気いっぱいというわけではありませんでした。
というのも、とってもストレスフルな毎日だったのです。
当時は東日本大震災の影響で、日本中が右往左往していた時期でもありました。
わたしも例外ではなく、危機管理官庁の担当官として、通常業務に加えて管轄内の市町村に出向き、あちら側の担当者との情報交換や対策などに追われる毎日を過ごしていたのです。
その時期は、わたしにとってはとても居心地の悪い職場環境でした。
直属の上司と幹部の折り合いが悪く(というより一方的なパワハラ状態)、直属の上司を飛び越えて、その幹部からわたしへ仕事が降りてくる。
そして、その仕事は当然上司が知らない仕事なので、直属の上司からはあまり良い目で見られない。
そんな板挟みの環境でした。
その幹部も、わたしへはさほどキツく当たることは無かったのですが、いつも朝から苦虫をかみつぶしたような顔で周りに怒鳴ることが多い人でした。
まあ、今だと明らかにパワハラでアウトでしょうね。
ですから、わたしの血圧も高値安定状態で下がることもなく、出勤後は仕事前に血圧計測をしてはため息をつくのが日課でした。
また、そんな職場環境だとろくなことは起こらない。
事件事故も多くて、忙しかったのを覚えています。
事件事故対応は、通常業務なのでまだ良いのですが、ぽろぽろと不祥事もあったり、滅多にない大きな海難があったりと大変な日々でした。
そんな時に、笑うから楽しくなるのではなく、笑うから楽しくなるのだという言葉をきいて、毎日冒頭のような作り笑顔をやっていたのでした。
楽しみを見つける
でもね、ここまで書いて、そんな中でもいろいろと楽しいことがあったな〜って思い出したんです。
吹奏楽
この年の数年前から始めたトランペット。
何とか上手くなりたくて、前年から地元のウインドアンサンブルのグループへ入れてもらっていたんです。
今考えると顔から火🔥が出るぐらい下手だったのですが、メンバーがそんなわたしも受け入れてくれて、週1回の練習がとても楽しかったのを覚えています。
また、たまに演奏会やボランティアで老人ホームを慰問することもありました。
その後は転勤なども重なって、トランペットは辞めてしまいましたが、いろいろと学ぶことも多くて良い経験をさせていただきました。
一番の学びは、みんなで力を合わせることの楽しさですね。
吹奏楽で使う楽器は、もちろんソロ演奏もできるのですが、それだけではやはり面白くない。
みんなの音が揃ったときに、なんとも言えない心地よさを味わえるのです。
人間は、1人ではちっぽけな存在ですが、仲間と共に力を合わせるとその何倍何十倍の力を発揮できるのがわかりました。
年齢や演奏経験もさまざまなメンバーが集まるアンサンブルでしたが、仲が良くて優しく親切。
わたしが転勤する際には、送別会まで開いていただきました。
とっても感謝しています。
SNS
2010年当時は、ツイッターやFacebookなどが流行始めた時期でもありました。
IT好きなわたしも、ツイッターで友人と繋がったり、Facebookを使って情報収集の日々を送っていたのでした。
ツイッターでは、地元の人達と交流が始まり、毎月1日の早朝に伊勢神宮をお参りする朔日参りのグループに入れてもらって、楽しく過ごしました。
そのツイッターグループを立ち上げたのが、約10年以上前に伊勢志摩に住んでいたとき、妻の友人だったという不思議な出会いも経験しましたね。
朝5時前に集合して、朝粥を食べて内宮をお参りするというシンプルな会でしたがあの会に参加したおかげで地元の友人が一気に増えました。
休みの日には、お参りが終わった後に喫茶店でiPhoneアプリの話題で盛り上がったりと、楽しく過ごしたのを覚えています。
Appleのユーザーグループ
同じ時期に、Appleファン向けのブログを5年以上更新し続けていたこともあり、それが切っ掛けでユーザーグループを立ち上げました。
もちろん、それまで人が集まるんだろうか?とかどうやって集めようか?などとずいぶん迷いましたが、前述のグループがiPhoneの話題で盛り上がっていたので、何とかなるだろうと始めたグループです。
場所探しも難航したのですが、若い頃から親しくしていた地元のレストランのオーナーの好意で、日曜日のレストランの休憩時間(午後3時〜5時)に2階フロアを貸してもらうことができました。
そこで月1回の定例会を開いていたのです。
毎回、参加者は1人か2人でしたが、うつうつとして心の状態が良くない日でも、定例会が終わった後はとっても気分が良くなっていました。
やはり、人と人との関わりが幸せに繋がるのを実感した日々だったように思います。
そんな風にどっぷりとAppleにハマっていた同年、スティーブ・ジョブズも亡くなり、彼の言葉
“もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?と自分に問いかけ、Noという日が続いたら何かを変える時だ”
という言葉を目にして、人生を変えていく切っ掛けとなるのでした。
まとめ
わたしが訃報を知ったのは、徒歩で通勤途中にiPhoneで聴いていたポッドキャストでした。
歩きながら涙が溢れてくるのを止めることができず、肉親以外の死に出会って泣いたのは初めての経験でしたね。
そんなわりとどん底の時期でしたが、書いているうちに結構楽しいこともいろいろあったな〜って思い出しました。
何より、スティーブジョブズの言葉に出会ったのが大きかったですね。
辞めるまでにずいぶんと時間はかかりましたが、この辺りから徐々に人生が変容していったように思います。
やはり、大変な時期は大きく変わる時期でもあるようです。
今はとても大変な時期だと感じても、その時は人生が大きく変わる時期。
作り笑いも、何度も何度も繰り返すうちにやがて本物の笑顔になっていくのです。
参考までに
Written by あなたの心に🔥を付ける勇気づけの専門家 ウミザル式メンタルトレーナー メタル
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