お願い上手に出来ますか?
日本人って人にお願いすることに躊躇する人が多いと思います。
わたしもそこまででは無いですが、あまり得意な方ではありませんでした。
でもそれって、何故なんだろうか?と深掘りしてみました。
お願いに躊躇する理由
よく考えてみれば、この2つのうちどちらかじゃないかって考えに行き着きました。
1つは、「コレを言ったら我が儘になるんじゃないか?」と心の葛藤がある
2つめは、「拒否されたらどうしようか?」と心配になる
お願いするのは我が儘?
これは、頼み方を相手に受け入れやすい言葉に変えることで解決するかもしれません。
つまり、技術的な問題が大きいと思います。
自分の願いをキチンと説明することが大事。
例えば「わたしは○○という思いを持っている、だから××してくれると嬉しい」。
「○○に困っているので協力して欲しい」など。
拒否されたらどうしよう?
この場合、思い込みが強いのかもしれません。
「頼み事を拒否される=人格を否定される」
お願いですから、断られることもあると思います。
だけど、言って断られるのと、言わずに我慢するのでは心への影響はまるで違います。
言ってダメなら諦めも付きます。
つまりストレスが少なくてすむ。
それに、たまたま断られただけで、相手があなたを嫌っているわけじゃないし、ましてやあなたの人格を否定しているわけじゃない。
相手の立場に立つ
日本では「人に迷惑をかけちゃいけない」と教えられるので、必要以上に我慢することが美徳とされているような気がします。
だけど、迷惑か迷惑じゃないか、はあなたが決めるのではなく相手が決めること。
いくらあなたが迷惑がかかりそう、と気に病んでもなんの意味もないと思います。
わたしの経験上、言ってみて断られたことはほとんどありません。
逆にあなたが他の人から頼み事をされたらどうでしょう?
「これはあなたにしか頼めないことだから」とか「あなただから頼めるの」と言われたとしたら。。。
嬉しくないですか?
これが「相手の立場に立つ」という事だと思います。
もし、あなたの親友が誰にも相談できなくて悩んでいたとしたら、あなたはどうします?
力になりたくありませんか?頼って欲しくないでしょうか?
アドラー心理学では、頼み事をすることは他人の「貢献感」をあげる事だと歓迎されます。
いつもいつも、やってくれて当然という態度で頼まれたら嫌がられるでしょうが、キチンと感謝を伝えれば大丈夫ですよ。
まとめ
日本では「人に迷惑をかけちゃいけない」と教えられますが、他国では「人に迷惑をかけずに生きていくことはできないんだから、あなたも迷惑をかけられても赦してあげなさい」と教えられるそうです。
これは文化の違いによる価値観が違うだけで、どちらが良い悪いじゃないと思います。
だけど、どちらの世の中が住みよいか?と考えた場合、後者の教えの方が人に優しいんじゃないでしょうか?
「自分が我慢すれば良い」という考え方は、一見謙虚で良いようですが、自分の心を抑圧されると必ず、恨みや妬みなどの抑圧された形で表に出てくるようです。
実は、わたしも以前は、助けて欲しくても「お願い」することは「負けること」だという妙な思い込みがあって、素直に頼み事ができませんでした。
そしてひたすら自分が頑張って、疲弊して周りの人に怒りをぶつけていましたね。
感情はエネルギーです。
無くなりはしません。
自分を赦すことができる人は、他人も赦せます。
他人を赦せない人は、自分も赦せません。
もう一度問います。
どちらが住みよい社会でしょうか?
そう、これがアドラーが言う「嫌われる勇気」だと思います。
みんなが、ちょっぴりの勇気を出せば、自分もみんなも生きるのが楽しい社会ができるのです。
Written by メタル(@Metal_mac)
コメントを残す