ドラマ「嫌われる勇気」が1月12日からフジテレビ系列で放映されるようです。
「自由、そして幸せになるための勇気」の必要性を問う、アカデミックでシニカル、そして見るだけで「アドラー心理学」を学ぶことができる大人の刑事ドラマ!
via: 嫌われる勇気 – フジテレビ
まえまえから、このアドラー心理学を記事にしていた当サイトでは、このドラマを楽しみにしています。
ということで、このドラマを追っかけてその都度、解説していきたいと思います。
ドラマ「嫌われる勇気」のプレ企画として、まずは上記公式サイトにあった、第1話のムービーから内容を推察してみました。
課題の分離
YouTubeのフジテレビ公式チャンネルの動画から。
最初から出ましたね。
課題の分離、以前記事にしたことがあるのですが、もういちど違った角度から解説します。
主人公の香里奈が演じる庵堂蘭子(あんどう・らんこ)は、この動画の中で、
「わたしをどう思うかは、みなさんの課題であって、わたしの課題ではありません」
と言っていますが、何も「人がどう思おうがどうでもいいことだ」と自棄になっているわけではありません。
人の評価に囚われるなということです。
本書「嫌われる勇気」の中では、評価を気にして10人に好かれようと思えば、10人に嘘をつかなければならない。
としています。
これは、人それぞれの価値観が違うので、同じ行為をしても評価が違うからです。
例えば、ある大金持ちの人が寄付をしたとしましょう。
ある人は「素晴らしいことだ」と賞賛し、ある人は「偽善者だ」と罵(ののし)るかもしれません。
ここで大事なのはあなたが寄付したいかどうかであって、それによって人がどう評価するかは自分の課題の範囲外であるという考えです。
だから、あなたは寄付をしたければすればいいし、したくなければしなければいい。
それだけが、自分の課題(できること)であって、人にどう思われるかは自分の課題の範囲外であるからどうしようもないのです。
そのどうしようもないことに、どうにかしようとする行為は、「他人の課題に土足で踏み込む」ことであって、アドラー心理学では「明確に否定します」。
つまり、人の評価を自分の都合の良いようにしたいという行為は、人を自由に操ろうという考え方から来るという傲慢な考え方なのです。
自分の価値
「良い評価が欲しい」と何故思うのでしょうか?
これは、アドラー心理学が嫌う「賞罰教育」の結果、他人の評価が自分自身の評価だと信じているからです。
自分自身の価値は、自分で決めることで有り、他人が決めることではありません。
前述のとおり、人によって評価が違ってくるので、ある人からは100点、ある人からは0点の評価を受けるかもしれません。
これでは、混乱するばかり。
アドラー心理学では、人間は存在しているだけで価値があると考え、たとえ何もできない赤ん坊でも、寝たきりの老人でも誰かの役に立っている、そして尊い存在だという考え方です。
わたしもこの本を読んだときはしっくりきませんでした、しかし、自分で自分の長所も欠点もそれでいいのだと受け入れることができた時、初めてアドラー心理学の幸福の3条件。
- 自分が好き(自己受容)
- 他人が信頼できる(他者信頼)
- 人に貢献できる(貢献感)
の1つ目を感じることができるのです。
勘違いしないでいただきたいのは、自分の欠点も好きになれというわけではありません。
排除しようとせずにそういう欠点があるのが自分なんだと認めることなんです。
まとめ
大切なことなので、もう一度。
課題の分離とは、これまでの日本の教育や文化では受け入れられない部分も多いかと思います。
だけど、自分の価値を他人の判断にゆだねると、とっても苦しいです。
実際、わたしも昔はこの価値観を人に委ねてしまって動きたくても動けない、やりたくてもできないと諦めていたことのなんと多いことか。
人からの評価は、自分ではどうしようもないのです。
そして、人の評価を自分の都合の良いように変えようとするのは、人を操ろうとする傲慢な考え方なのです。
ですから、今回のドラマのように「わたしの課題ではない」とある意味割り切ることができれば、とても自由に楽に生きることができます。
自分は他人ではなく今ここにいて、自分のできること・やりたいことをする
それでいいんじゃないでしょうか?
今後もこのドラマの解説をしていきますので、ご期待ください。
Written by メタル(@Metal_mac)
おすすめアドラー心理学関連記事
コメントを残す