アドラー心理学をテーマにしたドラマ嫌われる勇気をアドラーオタクのメンタルサポーター メタル(@Metal_mac)が、明確に感想を交えながら解説します。
今回は第4話、承認欲求でした。
承認欲求を否定する
アドラーは、他者から認められたい承認欲求を否定しています。
この承認欲求がある限り、人間は幸せに生きられないと考えるからです。
では、他者の気持ちは無視して自分勝手に生きろということでしょうか?
それも違います。
他者の期待を満たすために生きるなということです。
あるコミュニティーの中で周りとの関係をよくするために、理解を求めることは必要です。
しかし、最終的に自分の人生の結末は誰が引き受けるのか?と考えた時に、自分しかいないということなのです。
他者の期待を満たすために生きていると、人生の結末を他者の責任にしてしまいがちです。
「あいつがああ言ったから私はそうしたのに失敗した、あいつの責任だ」とね。
他者から批判を受けるのは喜ぶべきこと
以前、嫌われる勇気の共同著者である岸見一郎先生の講演会で公開カウンセリングがあったとき、質問者の「自分の事を批判してくる人がいる」との悩みにこう仰っていました。
「それは、あなたが自分らしく生きている証拠であり、鳥が自由に空を飛ぶために必要な空気抵抗だ」と。
SNSなどで、何気なく発言したことに、他者から「貴方は良いわよね」と批判を受けることがあったとしましょう。
そのことによって、次に発言を変えるとまた他の人から「貴方らしくないわよ」と干渉を受ける。
そうやって、他者からの意見に囚われてしまうと、本当の自分がどこかへ行ってしまうんじゃないかとわたしは思います。
ドラマの中でも「狸穴のお嬢さん」と呼ばれることに抵抗を感じる娘がいました。
しかし、他者がどう呼ぼうが、狸穴のお嬢さんであることに期待しても、囚われる必要なかったのです。
そう呼ばれることで「狸穴のお嬢さん」でいなくてはならないと、自分を縛り付ける必要もなかった。
その縛り付けから、逃れようとするすればするほど、他者の期待に沿わなければならない自分を作り出していたような気がします。
世の中には、いろんな意見があっていいし、いろんな考え方、価値観があっていいと思います。
だからこそ、貴方も自分の考え方、価値観も大事にしてあげましょう。
前述の岸見先生のいうとおり、批判は自分らしく生きている証拠であり、自分の人生を歩いて行くには不可欠なモノだと思います。
他者から批判を受けたときは、むしろ「自分らしく生きている証拠だ」と喜ぶべき事なのではないでしょうか?
もちろん、きちんと他者の意見は拝聴して、参考にする謙虚な気持ちは必要だと思いますが、それに振り回される必要はないのです。
それで上手くいかなかったとしても、自分の責任なのですから諦めも付きますしね。
ドラマの中で、蘭子がことあるごとに「わたしは貴方の期待を満たすために生きているわけではない」というのはこのことなのです。
すべての責任を引き受ける勇気がなければ幸せに生きられないのではないでしょうか?
まとめ
自分が自分のために自分の人生を生きないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるのだろうか
大文字教授がユダヤ教の教えだと紹介した言葉です。
スティーブ・ジョブズの言葉にもあります。
人生は短いのだ、他人のドグマ(宗教・宗派の主義主張など)に囚われている暇はない
わたしもそうでしたが、人間、身近に死を意識することによって変わります。
あなたがあと3週間しか生きられないとしたら…
他者の期待に応えて生きたいですか? それとも自分の気持ちに素直に生きたいですか?
Written by メタル(@Metal_mac)
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