わたしは、子供の頃に父親から働かざる者食うべからずと言われ続けていました。
これが、知らず知らずのうちに自分のビリーフとなっていたようです。
ビリーフとは、思い込みや信念、またはその人の常識と言ってもいいかもしません。
このビリーフが、プラスには働いているとき「一生懸命働こう」というモチベーションを上げる場合はいいのですが、逆に作用してしまい、時として自分自身を苦しめる場合があります。
うつになる理由
わたしは、うつは自分で自分を虐めてしまう心の病気だと思っています。
働かない自分はダメな奴だ、稼げない自分は最低だ、仕事で成績が残せなければ生きていている価値がない
という考え方をしてしまうと、自分で自分を責めてしまいます。
本来、仕事ができるできない、お金が稼げる稼げないは、その人の存在意義とは全く関係のないはずなのに、働かざる者食うべからずという価値観が深層心理の中にあると、そのように自分を虐めてしまうのです。
日本語になるときに誤訳された言葉
ウィキペディアによると、この言葉、「働かざる者食うべからず」はどうも、日本語へ訳されるときに誤訳されているようなんです。
新約聖書の『テサロニケの信徒への手紙二』3章10節には「働きたくないものは食べてはならない」という一節がある。
If any would not work, neither should he eat. 「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」
これが「働かざる者食うべからず」という表現で広く知られることとなった。ここで書かれている「働きたくないもの」つまり「怠惰なもの」とは、当人の責任によらず、「働きたくても働けないため、人の世話になっている」といった、止むを得ない生活をしている人のことではなく、正当で有用な仕事に携わって働く意志をもたず、拒んでいる者のことである。
-中略- レーニンは、同党の機関紙「プラウダ」第17号(1919年1月12日発行)にて論文「競争をどう組織するか?」を寄稿し、「働かざるものは食うべからず」は社会主義の実践的戒律であると述べた。かつて、レーニンがこの言葉を使った際には不労所得で荒稼ぎする資産家達を戒めるためのものであった。
つまり、社会主義が日本へ入ってくるときに、「怠けて働かない奴らは、」という部分が抜け落ちてしまい、本来の意味とは違ったものになって、「働きたくても、身体や心の生涯で働けない人」まで対象になってしまったようです。
また、わたし達の親の世代は、戦後の動乱期に若い時代を過ごし、学生運動を目の当たりにしています。
なので、少なからずそのような社会主義のイデオロギーが身につけていたのでしょう。
そんな、言葉を聞いて育ったわたしは、「仕事ができない奴はダメな奴だ、給料をもらう価値がない人間だ」と思い込んだのもあり、周りに不満ばかりを溜めてしまいました。
また自分自身に対しても「もっと仕事の成績を上げないと存在価値がない人間だ、もっと頑張らなければ」という縛りをかけてしまい、それが思い通りにならないためうつになってしまったようです。
これが逆に自分以外へ向かうと、いまわしい相模原障害者施設殺傷事件 (Wikipedia)のようなことが起こるのかもしれませんね。
さらにウィキペディアによると、この概念が、サラリーマンの成績主義に繋がり、「成績が上がらない奴はダメな奴だ」という業績があがらない事実と、個人の価値という本来関係のないはずの評価へとすり替えられているようです。
学校の成績でいうと、勉強のできない奴は存在価値が低いという価値観ですね。
学校の勉強ができるできないは、足が速い・遅いと同レベルのその人の一つの特徴、特技に過ぎないのです。
まとめ
このように、自分を自分で作った価値観でがんじがらめにして、生きるのが苦しくなったり、周囲にストレスを溜めたりすることはよくあることです。
今一度、そんな自分の価値観を見直してもいいのではないでしょうか?
わたしは、先日お伝えした、「嫌われる勇気」のなかにあった、「競争から降りる」ことにより、とても心が楽になりました。
もしも、あなたが生きるのが苦しい、もっと頑張らなければなどと考えて苦しんでいるのなら、お近くの心療内科か心理カウンセリングを受けることをオススメします。
人に心の中を打ち明けるだけて、考え方を変えるだけでとても楽になれるのです。
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