アドラー心理学では、褒めると罰するは同じ行為だとして禁じています。
これは賞罰主義に繋がるためなのです。
つまり、”褒める”と”罰する”はどちらも、目上の者が目下の者に言う言葉。
人と人との関係を縦ではなく横の関係で築くことで所属感・貢献感・自己承認の上に成り立つ「幸福感」を得ることができるというのが、アドラー心理学の考え方ですから、当然禁じるわけです。
これについて、わたし自身がなんとなく理解していたのですが、人に説明するとなるとイマイチ上手に出来ず、「どうしたら上手く伝わるのだろう?」と考えていたのですが、今朝ベッドの中でまどろんでいると突然回答が降って来ました。
賞罰主義は依存症に繋がる
人との関係を上下関係、賞罰主義で観るということをもう一度考えてみましょう。
褒めるという行為は、子供との関係で一般的に親や教師、上司が部下などの上位(と思われている)者が下位の者にする行為です。
これは理解していただけるでしょうか?
部下が上司に向かって「おー!部長よくやった偉い偉い!すごいね〜」( T_T)\(^-^ )、なんてしないですからね。
こんなことを言ったら、よほどよく出来た部長さん以外は「馬鹿にするな!」って起こるでしょう。
褒められた方は、その時には喜びます。
しかし、褒めるという行為が与えられるのは、目上の者の思い通りに出来たときだけです。
目上の者の思い通りに出来なかったときは、叱られます。
例えば、絶対にテストで100点を取って欲しいお母さんがいたとしましょう。
子供が、100点を撮ったときは褒められます(賞)
しかし、子供は90点しか取れなかったとすると、叱られます(罰)
あくまでも、主導権・判断基準は母親にあります。
子供は判断基準が自分ではなく、母親にあるため、自分以外に判断基準を求めるようになるんじゃないでしょうか?
子供のうちは母親などの保護者でしょうが、自分自身の中に善し悪しの判断基準がないため、大人になると他人に判断基準を求めるようになります。
つまり、他人が自分を認めることが価値観になります。
これが、依存です。
もっと褒めて!褒めて!もっと褒めて欲しい
褒めてくれることはやるけど、褒めて貰えないことはやらない子供に育つ可能性が大きいと思います。
他者貢献
では、どうしたらいいのでしょうか?
アドラー心理学で推奨しているのが、感謝することです。
子供が何かやってくれたら「ありがとうお母さん助かった」。
部下が功績を残したら「ありがとう、俺も鼻が高い」。
このように声をかけられたとき、子供や部下は「貢献できた」という家庭・会社に所属感を得られます。
家庭や会社にいて良いんだと、自分が自分を認めることができるのです。
ここが重要ポイント
「褒める」と「感謝」の違いが解っていただけたでしょうか?
前述の「褒める」は、判断基準が他人、ですが「感謝」は判断基準が自分の中にできあがります。
そして、褒められることでも感謝されることでも、もっとやろうとという気持ちはできるでしょうが、感謝されると判断基準が自分にあるため「自分が良し」と思ったことは、他人が褒めようが褒めまいが関係なくやろうとします。
そして、上手く行かなかった場合は、親や上司から見ると叱りたくなる気持ちもよく解りますが、子供や部下も「上手く行かなかった」ことにしょげているはずです。
叱るのではなく「どうやったら上手にできたのだろう」と一緒に考えてあげることで、次は上手くやろう!という勇気が湧いてくるンだと思います。
褒めて育てるともっと恐ろしいことになるかも
わたしが一番危惧するのが、褒めて貰えなくなったとき。
つまり、誰にも認めて貰えない(と自分が思い込んだ)時、その人はどういう行動に出るのでしょうか?
ある人は、引きこもっていわゆる「ニート」になって他人の注目を引こうとするかもしれません。
もう一方で、他人を貶(おとし)めて、自分を優位に立たせようとする。
虐めなどに繋がるんじゃないかって考えます。
もっと怖いのは、自分を認めてくれない社会を恨むことです。
わたしの考え過ぎかもしれませんが、あなたはどう思いますか?
Written by メタル(@Metal_mac)
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