アドラー心理学において、重要な考え方の一つに「課題の分離」があります。
これは、どういう考え方かというと、その問題の責任を負うのは誰か?と考えることです。
わかりやすいようにわたしの経験を元に母親と子供の関係で観てみましょう。
勉強しろと命令する効果
どこのお母さんも同じかもしれませんが、わたしが小学生・中学生・高校生のころ、母親は勉強せずに遊んでいるわたしに対して、四六時中「勉強しろ!」「宿題をやったのか?」とわたしに言い続けました。
で、その声を聞くたびにわたしは反抗してますます勉強する気をなくしていきました。
人間好きなことなら、何もしなくても自分から積極的にやろうとします。
しかし、このようにけしかけられると、やらされている感が強くなり、やりたくなくなります。
みなさんもそうでしょうが、「やらなきゃならない」ことって大概「やりたくない」ことなんじゃないでしょうか?
なので、勉強をしたとしても楽しくないので、身になりません。
勉強をしない我が子を見て落胆する親御さんも多いことと思います。
そして、わたしの教育が間違っているのだろうか?と悩みます。
前述の通り、「やらなきゃならない」ことは、「やりたくない」ことなのです。
ですから、これを「やりたいこと」にしてしまえば、お子さんは放っておいても勉強を始めます。
ですから、「勉強しろ」ということは、全くもって逆効果なのです。
水飲み場までは連れて行ける
こういうことわざがあります。
馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を呑ませることはできない
つまり、親の役目は、いかに子供が勉強したくなるように仕向けるか?援助するか?なのです。
無理矢理水を呑ませることはできないのですからね。
これは、アドラー心理学の課題の分離という考え方に繋がります。
課題の分離
それは、誰の課題なのか?と考えることです。
子供が勉強するしないは誰の課題なのでしょうか?もちろん子供ですよね。
親の課題ではありません。
この問題の責任を負うのは誰なのか?を考えることによって、親の負担は少なくなるでしょう。
もちろん、親ですから、子供には勉強ができて欲しいのは十分理解できます。
しかし、勉強しなかった結果は、子供が追うのですからあなたがイライラする必要もないし、責任を感じることもないのです。
もちろん、前述の通り支援はしっかりとしなければなりませんが、結果は子供が追うということは覚えておいてください。
ですから親にできることは、水飲み場の方向を示し、水飲み場まで連れて行くことなのです。
一見冷たいようですが、まずあなたがこの課題の分離を理解することから、問題解決が始まるのではないでしょうか?
まとめ
アドラー心理学の提唱者、アルフレッド・アドラーは世界で初めて児童相談所を開いた方で、その教育に関する研究には奥深いモノがあります。
これからも、このテーマを追いかけたいと思っています。
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